移動という美学 「Ryohei Tsuji」

Q:パルクールを始めたのはいつ頃か?

Ryohei Tsuji:始めたのが中学三年生の頃ですね。友達がブレイクダンスをやってて、その動画を見てたら、関連にパルクールの動画が出てきて始めた感じかな。中学3年の冬の受験時期に初めて、勉強よりもパルクールの方を頑張ってたね(笑)

Q:Ryohei さんのスタイルについて教えてください。

Ryohei Tsuji:上手くまとめてほしいんだけど…

最近は流れを大事にしてて、かつ、使う障害物にムラのない動きを心がけてるかな。

もう少し詳しく言うと、フローを作る時の思考がトリッキングに似てて、トリッキングってコンボを通して回転方向が同じで、一つの技の終わりが次の技の入りになってると思うんだけど、それをパルクールでもしている感じ。フロー中は出来る限り止まらず、かつ一つの障害物に使う時間にムラのないような動きを意識してます。

それと出来るだけ奇抜な技は入れたいかなー!

もちろん、スポットや気分によってはこれに限らず、基礎系やB-boyチックに動いたり自由にやってるよー!

Q:香川から移った当時、大阪のパルクールシーンについて感じた事

Ryohei Tsuji:大学生になってから大阪に来たからここ四年ぐらいのシーンの話からすると、ヤバくて若い子は兵庫が多くて、大阪単体で見ると動いてる人がそもそも少ないかな。高齢化が進んでて、 大人になってパルクールしてる人が少ない感じ。大阪は動く時のグループがはっきり分かれていると思う。

 香川から来た当時は、大阪のパルクールシーンに凄い憧れてて、ゆらい君達に突撃したりして、そこから大阪のパルクールライフが始まったね。みよしたけし君に面倒を見てもらってて、やっぱり若い子がパワフルだなって思ったかな。

Q:影響を受けた人物は居たりしますか?

Ryohei Tsuji:まず間違いなく居るのは香川の「げん」さんやね。俺が香川でパルクールを始めようと思った時、そこのコミュニティーで初めて出会ったのが「げん」さんで、めちゃくちゃイカツイやばい人いると思って(笑)

でも蓋を開けてみると人間味があるし、音楽とかサブカルとかにも教養があって、もう30手前やけどカマすときはカマすしでめっちゃリスペクトしてる。パルクールの面では当時、俺が思ってたパルクール像をぶち壊す自由さをもってて、そこで初めてパルクールの自由さに気付かされたよね。今でも香川に帰った時は、友達とかじゃなくて、まず会いに行くぐらい影響は受けてる。 後は、ざっくりとするとスウェーデンのJoelとかあの辺の人達かな。元々の自分のこだわりとかに当てはまる動きをしてて、影響を受けたってよりは、たまに参考にしてる感じ。 




Q:五年後の展望について

Ryohei Tsuji :結構悩んでまして、今、二つの施設の中でコーチをしてて、レッスンは続けていきたいなって思っているんだけどそれだけで食ってくのは難しくて…

とりあえず就活始めて、六月ぐらいに内定貰ってた所から不採用がきて途方に暮れてます(笑)

理想を語ると、友人のWeb事業に参加しながらボチボチパルクールするのが1番かなー。後はまあ普通に就職してたまにパルクールするかの2択って感じすかね。


Q:パルクールに対する美学や哲学を教えてください。

Ryohei Tsuji:そうやなー。「とにかく自由にやること」じゃないかな。パルクールって距離とか捻りの数みたいに、明確に数字で競えるっていう競技性がある一方で、数字では図れない自己表現の面も大きいよね。ダンスに似ていて本当にアートだと思う。

どういう動きをするにしろ、「ある程度こうである方が美しい」、「このぐらいは出来ないと」みたいなのは確かにあると思うし、最初は誰かの真似から入ることもあるとは思うけど、とにかく自分の好きなように動くことがやっぱり大事なんじゃないかな。

その上で、自分なりのこだわりとかスタイルを見つけられるとより良いよね。



「Ryohei Tuji」↓




9/25 (土)

interviewee/Ryohei Tsuji

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